「人間」という言葉を、不思議に思ったことはありませんか。
「人」という一文字だけで意味は十分に伝わるのに、わざわざ「人の間」と書くのですから…。
ではいったい、「人間」とは何と何の“間”にある存在なのでしょうか。
「人と神の間」でしょうか。
しかし、そう考えるには無理があります。なぜなら、たしかに人間は知性を持っているとはいえ、21世紀の現代になっても国同士が争い、戦争をし、殺し合いを続けています。これは、意識の次元としては非常に低い状態にあることを示しています。
そして、そのことにすら気づいていないのが現代の人間です。多くの人は、「人間としての自分」こそが本当の自分だと思い込み、その枠から出られずにいます。
しかし本来、私たちの本質は肉体ではなく、永遠に生き続ける「霊魂」です。
霊魂は、絶対・完璧・完全なる、絶対法則から分かれた存在であり、その本質は絶対なる
と同一のものです。
ところが、その自覚を失ってしまったとき、人は動物的な意識に落ち込み、「人と動物の間」にある存在――つまり「人間」として人間牧場に入れられて、従順な生き方を強いられているのです。それに気づかないのは、「人間」であることが当たり前になってしまっているからです。
今こそ、本来の自分である霊魂の自覚を取り戻すことです。
p>肉体の自分ではなく、霊魂として生きる存在を「霊止(ひと)」と呼びます。霊が肉体という器の中に止(とど)まっている――それが「霊止」です。
肉体人間という殻に閉じこもるのではなく、霊止としての本来の姿に孵(かえ)っていくことこそ、私たちが歩むべき道なのです。
- ●霊止は──この世が“魂の行の場”であることを識っています。
- ●霊止は──目の前の現象が、間練(まな)び※1と埋め併(あわ)※2せのために顕れていること、それを自分の魂が設定したことを理解しています。
- ●霊止は──死とは単に肉体が生命活動を停止することであり、本体である霊魂は肉体から離れて他の次元の世界へ移行すること、霊魂としての自分は死ぬことはないと識っています。それゆえに肉体の死を恐れることはありません。
- ●霊止は──全ての霊魂は、絶対・完璧・完全なる大生命(大神)から分かれたもの(分御霊=わけみたま)であり、元ひとつへと戻る道を歩んでいることを識っています。
霊止乃道は、”人間“の生き方から本来の自己(霊魂)としての生き方へといざなう道しるべとして開かれています。
現代の教育や管理社会の中で、私たちは多くの概念・価値観に染められ、塗り固められています。
霊止乃道は、それらの概念などを“新たに植え付ける”のではなく、逆に、これまで身に着けてきたものを捨てていくことで、本来備わっている中真観覚(ちゅうしんかんかく)※3というチカラを発露し、本来の霊としての自己である霊止に孵(かえ)※4ることを説いています。
そして、霊止乃道を歩むことによって、過去世が現在に繋がり、更にこの世から、来世、再来世…と永遠に続く霊魂としての道が開けていくのです。