現在の宗教は、全て“人間”が作ったものです。たとえその教えの中に真理が含まれていたとしても、全てが真理とは言えず、その宗教を信じる人たちだけが救われるとするのが宗教です。ですから、全ての人間を創造した絶対なる神の眼から観れば、古くからある宗教も含めて全て不要なものであり、人々を染脳して迷界へと導く一番の元凶と云えるものなのです。

宗教は精神性を高めるものと考えている人もいますが、業想念に覆われている“人間”が作ったものですから、決して崇高なものとは言えない現実があります。例えばカトリック教会の聖職者による児童への性的虐待は、アメリカ、アイルランド、ドイツ、オーストラリアなど世界中で数千件規模で確認されています(インターネットで「カトリック教会 性的虐待」などで検索すると、驚くほど多くの事件を見ることができます)。

また、戦争のほとんどは宗教的な対立が背景にあり、イラン(イスラム教)とアメリカ(キリスト教)の紛争も例外ではありません。自分たちの信じている宗教こそが一番だという考えに染まると、他の宗教と対立し、殺し合いで決着を付けようとするのが“人間”です。また、ある宗教は、自分たちこそ神に選ばれた者たちであり、「自分たち以外の宗教を持つ者はブタと同じだ、殺しても罪にならない」という教えを狂信し、表向きは平和的な顔を見せながら、裏では平気で他教徒を殺している実態もあるのです。ですから、宗教は無いがほうがよいのです。

内海康満先生(師尚)は常々「宗教は不要だ」とおっしゃられています。

「人々に必要なのは宗教ではなく、真理なのです。なかでも自分自身の中に真の神が存在することを識るのが一番なのです。自分の中の神とは、大宇宙を創造し、人類を創造された絶対・完璧・完全なる神から分かれた霊、すなわち分御霊(わけみたま)であり、私たちは絶対なる神と同じチカラを持たされているのです。そのチカラが中真観覚(ちゅうしんかんかく)です。頭脳回路を使っている人間は宗教によって染脳されますが、中真観覚を発露している霊止は宗教に染まることはありません。なぜなら、中真観覚という神が自分の中に在ることを識っているからです。その中真観覚を使って歩むのが霊止乃道なのです」