宗教は、疑いを持つことは神仏に背くことだと言って人々を脅し、自分たちの教えこそ正しいと主張して染脳しますが、霊止乃道では、自らの中真観覚で納得して、自らの足で歩かねば、何一つ真に間練ぶことはできないと識っているので、何事においても「疑い」のスイッチを入れ、自ら調べて知り、更にそれを「種観霊」して(染脳されていない霊の眼で観て)、自分で真理を得ていくことを説いています。
「霊止乃道を歩む」ということでさえも、「周りが勧めるから」「知り合いがやっているから」「なんとなくよさそうだから」というような曖昧な気持ちではなく、
「師尚が説かれる法則や御仕組は本当に真理なのか?」
と、現象界の顕れを観て何度も何度も自分自身で種観霊して、それでも「やはり、この道を歩こう!」と、自らの意志で歩むことが大切なのです。