MRT仙骨良法は、霊魂を包むようにして護っている仙骨が本来の自由自在な動きを取り戻すよう導く治良です。
仙骨一点を瞬間・無痛・非接触で治良する、世界にも類を見ない治良法です。

扇子には要(かなめ)と呼ばれる部分があります。要の部分を少し広げるだけで、扇子の末端が大きく開きますが、要の部分が動かないと扇子は開きません。また、要が外れると、扇子を構成している骨がバラバラになって使い物にならなくなります。扇子の要は、文字通り最重要部分と言ってもいいでしょう。

仙骨は身体の要

これと同じように、仙骨は体の中で要の役割をしているのです。
実際、人間の身体活動の全ては、最初に仙骨のわずかな動きがあって、それが身体の末端の動きとして顕れるのです。

物理的な側面では、仙骨は、あなたがどんなに無理な生活をしても、細胞が持つ本来の機能を最大限に発揮できるように一生懸命に仙骨自身を変位させて細胞を守ろうと常に働いてくれています。仙骨は24時間、365日あなたを護ってくれている存在なのです。例えば痛みを出して、それ以上酷使しないように細胞を護ってくれているのです。
MRTはその仙骨の働きを識っているので、骨折でも、皮膚疾患でも、腰痛でも、どのような症状の方でも「仙骨一点」のみを治良しています。一瞬で終わる仙骨治良の極小の刺激は、一生懸命にあなたを護っている仙骨への後押しなのです。

MRT仙骨治良は、専用のMRTテーブルに横たわり、腰部をわずか9ミリだけ落下させるものです。これは椅子にドシンと座るよりもはるかに小さな刺激であり、しかも一瞬で終わってしまうわけですが、その刹那に仙骨は自ら動きたい方向に動くことによって本来の生命バイブレーションを取り戻し、その波動が全身に伝わって、もともとの元気なカラダに戻っていくのです。仙骨治良が病気や症状を個別に相手にせずに、仙骨一点だけの治良であらゆる病気や症状に対応しているのは、病気の根本原因が仙骨に集約されているのがわかっているからです。

MRT仙骨治良

しかし、仙骨に極小の刺激を与えるという物理的な側面だけがMRTの仙骨治良ではありません。MRT仙骨治良の真髄は、生命というものに対する「理解」が在ることです。
すなわちMRTでは、人間をひとつの生命の顕れであると捉え、さらにその生命の縮図的なものが仙骨の内奥に収められているという真理を理解して治良を行っているのです。先ほど「仙骨は目には見えない霊魂を包むように護る存在でもある」と述べたのは、そのことです。

また、MRTが一般の治良と違うのは、病気や症状は必要があって顕れているということを理解している点です。つまり、病気や症状は悪いものではなく、細胞自身が身体を調整しているために顕れている現象だと理解しているのです。人間は、病気の裏と表を識って生命という完全なものを理解するようにいざなわれているのです。そして、身体中央にある仙骨を仙骨治良によって仙骨が戻りたがっている本来の位置に戻すと、病気や症状による調整は不要となるので、自然と消えていくのです。

しかし、病気や症状というものは、物理的に消してしまえばよいというものではありません。なぜなら、病気や症状は、「無理をしていますよ」「怒りすぎですよ」「食べすぎですよ」「他人を中真にしていますよ」…など、自分に何かを気づかせるために顕れているものだからです。それが病気・症状の本来の目的であり、その気づきを得て、ボタンの掛け違いをしている根本を理解すると、病気・症状は必要が無くなって消えていくのです。

MRTではその理(ことわり)を説いて治良を行っているわけですが、病気さえ治ればそれでよいという人は、根本を理解しないまま一時的に病気が治ったところで止まってしまうのです。
しかし、「その先にもうひとつの道がある」と気づいて霊止乃道へと歩み出す人も多くいます。
その「もうひとつの道」である「霊止乃道」の実践について様々な角度から師尚が説かれているのが「霊止乃道WEB」です。

すでにMRTに通われている方々は、『月刊MRT』にて「霊止乃道」の御押し絵(おしえ)を毎月頂いていますが、この「霊止乃道WEB」は、より自覚をもって霊止乃道を歩み出している方々へ向けたものでありますことから、『月刊MRT』の御押し絵を更に進めた内容になっています。
人間の道しか知らなければ、人間の道を歩くことしかできませんが、霊止乃道という道もあることを識れば、2つの道のどちらを自分が歩くのか自分自身で選ぶことができます。

「何生も何生も人間を長くやっているうちに、自分が絶対なる存在(絶対なる神)から来たことを忘れ、霊止であることを忘れて、今の自分がいるのだ」と気づいた人が歩くのが霊止乃道であり、どの道を行くのかは自分次第であり、強制されるものなど何もないのです。